たき火プロジェクト

愛知児童総合センターの企画により、 メディアアートの展覧会「エキゾチック」展で、火をテーマに参加型の展示とワークショップを行った。火を扱うことが少なくなった地域の子ども達に、蜜蝋でロウソク作りや、火を使った料理作りなどの多様なワークショップを通して、火を使うことの意味やたき火のにおい、たき火をした後の気持ちよさを感じる体験を提供した。

2007年1月28日
愛知児童総合センター
主催:愛知児童総合センター

企画、ディレクション:石井晴雄
スタッフ:野呂有里
エキゾチック展企画:茂登山清文(名古屋大学)

http://www.acc-aichi.org/aburabu/34go/syosai.html#07


メディアアートの展覧会「エキゾチック」展の一環として、たき火プロジェクトを行った。最近、焚き火をすることがなくなった。できたとしても消防署の許 可をとることが必要であったりして、子供たちが焚き火をする体験もあまりないかもしれない。そこでたき火を起こして、そこで様々なコトがおこる場をつくる ことをとおして様々な有形、無形のものを創りだしてみたいと思った。
なにかをしてもよいし、なにもしなくてもよい。 ただ焚き火をしたり、薪や枯れ枝、枯葉をあつめたり火にくべたりするだけでもよい経験になるかもしれない。また火をみているとなんだかとても気分がおちつ いたり、 たのしくなったり、なつかしい気持ちになったりする。火には不思議な力があるようだ。また火を囲んでいると自然と会話がはずんだり、なにも話さなくてもい いような気持ちになったりする。ただ火があるだけでなにか「状況」「場」をつくりだされる。
万博跡地からは夕日がきれいに見える。 焚き火をしながら夕日をぼんやりみる、ただそんな「時間」がつくれたよいと思う。

1-蜜蝋ろうそくづくりワークショップ
蜜蝋を体温で融かしてろうそくをつくった。冬の寒いさなかに、たき火の火で手と蜜蝋を暖めながら徐々に融かしてろうそくの形にしていく。なかなか融けないけれど、いそがずにのんびりじっくり取り組んだ。

  


2-お団子を焼いて食べる
お団子をたき火で焼いて食べた。寒い日にはお団子の焼けるこおばしい香りがたまらない。


3-パンを作って食べる
その場でイーストを混ぜた小麦粉を練って、おなかの中に入れて発酵させてパン種をつくり、竹の先に巻き付けてたき火であぶって食べた。おいしそうな焦げ目がついたらできあがり。


4-焼き芋を焼いて食べる
サツマイモをアルミホイルに包んで、少し下火になったたき火に投げ込んでしばらく待つと、焼き芋のできあがり。みんな夢中でほおばりました。メザシやマシュマロなども焼いて食べました。


5-あたたまる、あつまる
まだ寒い冬の日に、たき火のまわりにただあつまってあたたまりました。そこで自然に会話がかわされたり、同じ時間と空間を共有するだけで十分楽しい体験を することができました。プリミティブな火が太古の昔からの人間の本来の姿を呼び覚ましてくるのではないかと思いました。


焚き火メディアである

はじめに
羅針盤の発明によって西洋航海術が発展し、大航海時代が到来した。グーテンベルグの活版印刷術によってルネサンスと宗教改革という意識革命がおこった。あらゆる文明の興隆と意識革命の影には、それを支えたテクノロジーとメディアの存在があったのだ。しかし火ほど多大な恩恵を人類に与えたものはない。火こそが人類が始めて手にしたもっとも偉大なテクノロジーであり、メディアだったのだ。

コミュニケーションの原点としての火
火はノロシや灯台として交信に使用され、また夜道を照らし、道しるべとなり、火のあるところをめざして人が集まる。祭りの中心には常に火があり、オリンピックは、太陽の光を集めて作られた聖火の到着とともに始まり、聖火が消えるとともに終わる。誕生日にはロウソクに火を灯し、それを吹き消すことによって新たな歳を迎える。また仏壇には灯明が灯され、先祖の霊の道しるべとなる。火はアクセスルートを確保し、人の意識と情報を集約し、人類初のリモートコミュニケーションテクノロジーであった。また彼岸と此岸、生命と魂、死と再生の媒介者であり、すべての生命と物質、エネルギーの根源である太陽の分身である。

火はコミュニケーションのプラットフォーム
そして火はコミュニケーションのプラットフォームである。太古の昔より火を囲んで民族の歴史や伝承は語り継がれ、また火を囲んだ語らいによって、人間の意識のバリアは解消される。人類は火を囲んで食事をし、語らい、そしてともに寝た。部族の集会の中心には常に焚き火があり、家族の中心にはいつも火があった。火は常に家族のぬくもりとともにあり、家族の永続性と安らぎをもたらすものとして、細心の注意をもって守られてきた。また人類は火で食物を加工し、調理することによって多様な味覚を発達させ、感性を拡張してきた。そしてゆらめく炎の1/Fゆらぎ効果は人間の快楽中枢を刺激し、火と煙の匂いとともに、DNAに刻み込まれた人類の太古の記憶を解放する。火は人類の文化の根源なのだ。また人間は、分厚い毛皮を持つ他の哺乳動物たちとちがい、薄い皮膚に覆われた脆弱な身体を持つ生き物であるがゆえに、皮膚の延長として衣服をまとい、住居を建設した。そしてその内外で焚かれた火は第二の体温であり、サイバネティックに拡張された身体の一部であった。

火の代替物としてのテクノロジー
火は焼く、煮る、香りを出す、消却する、暖をとる、闇を照らすなど、実に多彩な用途に対応し、またそれらを同時におこなうマルチパーパスでマルチタスクなプラットフォームである。そして子供も大人も誰もが手軽に使えるフリーアクセスツールである。しかし火を失った現代人は、その代わりに数々の火の代替物を必要とするようになった。電灯はロウソクの火の代替物であり、電子レンジ、IHヒーター、そしてテレビやパソコンさえも暖炉や囲炉裏の代用品であるかもしれない。すべてのテクノロジーは火の代替物であり、アナロジーなのである。また現代社会の主要エネルギーである電力の多くは、石油の燃焼によって生産され、また主要な移動手段である車もまたガソリンの爆発的な燃焼によってその駆動力を得ている。形態は多様化しても、人間の社会は常に「火」によって動いているのだ。火はすべての社会の根低にあり、我々の社会活動の源泉 なのである。

火に宿る狂気
この惑星系は水素原子の核融合反応の連鎖によってできた、太陽という火の玉によって維持されている。また地球上においては、可燃物の急激な酸化反応によって熱と光が放出され、その熱エネルギーがあらたな酸化の連鎖反応をひきおこし、燃焼という継続的な現象を引き起こす。それは個体から気体への変容であり、エネルギーの交換である。火は美しい。しかし近づきすぎると火傷をする。また不用意に扱うと火事の元となる。火は多彩な用途と神秘性を持つ一方、大きな危険性ともまた表裏一体である。そのアンビバレントな両義性と魔性性は人間を虜にし、理性的思考はその火に宿る狂気を恐れる。ヨーロッパ中世の魔女狩りで、「魔女」たちは「火あぶり」にされたのも必然であるのかもしれない。

人の心にも火はともる
そして人の心にも火は灯すことができる。それは人の心の潜在的な可燃性因子である感情の連鎖的科学反応をおこし、さらに燃え広がってゆく。火は誰の心にもアクセスするオープンプロトコルであり、人の心に連鎖的なネットワークを作り出し、心のプロテクトをはずすネットワークキーである。

まとめ
最近、焚き火をしなくなって久しい。防火意識の高まりで、焚き火は危ない、火は悪いものという意識さえ常態化している。そして火は我々の日常から姿を消し、電気に身をやつし、エンジンの中で密かに燃えるものとなってしまった。そして火の力は、すべてをブラックボックス化してしまう現代社会によって抑圧され、隠蔽されてしまった。火を失ってしまった人類は太古からの歴史、そして心の中の光と熱までも失ってしまったのではないだろうか。そして道しるべを失ってしまった我々の魂は、現世をさまよいつづける。焚き火は実体のあるものは何も創造しないが、それは燃焼という現象を利用した動的な「状況」であり、時間と場の創造である。そしてその場によって実にさまざまな「コト」が創出されるプラットフォームであり、したがってそれはすこぶるメディア的だと言えよう。そして焚き火は忘れていた人類の原始の記憶をたぐり寄せ、我々自身の存在の根源を目覚めさせてくれる普遍的な装置なのである。

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