ワークショップ「秋の収穫祭」

愛知県立芸術大学長鶴池にて、地域の住民参加によって穀物を収穫して収穫祭をおこなうワークショップを企画、運営した。

2006年10月21日
愛知県立芸術大学長鶴池にて


雲一つない秋の晴れた日に、秋の収穫祭をした。まずサツマイモの収穫から。雑草と石ころだらけの畑で、ツルをたぐってサツマイモを掘ってゆく、大きなおイモがごろごろ出てきてあちこちから歓声があがる。サツマイモは荒地で作れといわれるが、この文字通りの荒地で育つサツマイモのたくましさには改めて感動する。

それから乾燥させておいたタカキビの脱穀。まず布の上にタカキビの穂を置いて、木のツチでたたいて穂から実を落とす。木槌でトントンとリズミカルにリズムを刻みながら作業をしていると、ひぐっちゃんが妙な声で歌いはじめて皆爆笑。そして皆もそれに合わせて意味不明の歌を歌う。

つぎに穂から落ちた実を集めて唐蓑という、風で実と殻を選別する機械に入れて選別する。これはつい先週届いたばかりの新品だ。手でハンドルを回しながらザザザとタカキビの実を入れてゆくと、殻だけが前の口から飛び出してきて実は手前の口から出てくる。これを数回繰り返すときれいに実だけが選別できる。だんだん実だけが残ってゆくのを見ているのは気持ちがいい。そして最後に実を水入れて浮いてきた細かいゴミや殻を取り除いて終わり。みんなそれぞれ自分のペースでのんびり作業をした。

脱穀作業が終わったら今度は近くの林から薪を拾ってきて火おこしの準備。火がおきたらお釜に水を張って脱穀したタカキビと、あとは畑で取れた黒豆、小豆、麦や、もらってきた玄米を入れて火にかける。40分ほどたつとお釜のふたの下から湯気とともにふっくらとしたご飯の炊けるいい匂いがしてくる。しばらくたってふたをとってみると、ちょっとこげくさい。急いで火を弱めてお釜の底からご飯をかき混ぜると、底の方は焦げついているし、上の方は水っぽい。失敗したかなと思ったが、かき混ぜてしばらくすると全体がなじんできて問題なし。お釜の底のおこげもするっとはがれ落ちてこおばしそう。なんだか結構うまくできてる。いただきます。

さて、ご飯も炊けたし、なっちゃんが採れたサツマイモとカボチャで作ってくれたオニマンジュウとお汁も到着。飛び入りのお客さんも加わって、みんなで食事の開始。いやその前に肝心なことを忘れてはいけない。お神酒、お神酒。一応お祭りですから(笑)、やはり神事はかかせません。ひぐっちゃんが持ってきた伊勢神宮のお神酒をみんなで飲んで、畑の神様に乾杯。
春には何もなかったところから今ではこんなにたくさんの作物が採れて、今日の収穫祭をすることができるとは、考えてみると不思議なことだし、大したものだ。食材ほとんどすべて畑の恵みでまかなっている。春から考えたらまるで夢のようだよ。特に今日のタカキビやサツマイモ、カボチャは文字通り自然農の放任栽培で育っているから、自然の恵みそのものだ。ただひたすら感謝、感謝の一言だ。だから今日はその恵みを存分に味わいたい。
周りにいっぱい生えているクズの葉をつんで来てお皿代わりにして、ご飯をのせて食べる。半年間かけて育ってきたものでも、たべる時は一瞬だ。タカキビ、黒豆、小豆、麦、ピーナッツ、米、モチキビ、その一粒一粒に舌が神経を総動員させて反応している。
ご飯のあとは一輪車に乗って遊んだり、ススキがゆれる雲ひとつない秋晴れの空の下で、日が沈むまでのんびりすごした。何も時間に追われることもない、穏やかな時間が流れていた。まるで時間の感覚さえないようだった。時間とは本当は存在していないのかもしれない。それは退屈した人間が作り出したものにすぎなのかもしれない。生命のたくましさに感謝

それにしてもサツマイモやタカキビなどのイモ類や雑穀類の成長力とたくましさは本当にすばらしい。開墾したばかりの畑で肥料もなしで瞬く間に大きくなって、たくさんの実つけてくれる。人類の生命を何万年も支えくれていた生命力のたくましさ。彼らのこのたくましさがなかったら人類はとっくの昔に絶滅していただろう。そして人類は何万年もの間皆でよりそいながら共同で生活し、自分たちで自分たちが食べるものをつくって収穫して、そしてそれを祝い、分け合って食べて生きてきたのだろう。そして自分たちで作物を作り育ててそれを分け合って食べること、それはとてもあたりまえのことだったにちがいない。そしてその満足感は何ものにも代えがたい。それは記憶として我々の細胞の奥底の遺伝子に組み込まれているにちがいない。この収穫祭はそんな記憶に触れるような体験だった。そして秋の穏やかな日差しの中で、身も心も満足感でいっぱいの一日だった。

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