投稿者「haruo-ishii」のアーカイブ

丸太の皮をむく

小屋をたてる予定の土地の 木の伐採をした。 小屋をたてる実感がだんだんしてきた。同時に並行して太鼓丸太についている皮を鎌で削り取りました。

やり方

柘植さんによって建設予定地の周囲を板で囲って平面を出して そこへ水糸でほぼ建物が建つ位置を決めた。人力で柱を運び込む。まだ伐採したてて水分を含んだ材木はずっしりと重い。

地鎮祭

小雨の中で麻縄でエリアを囲んで 中に野菜やお酒、米、昆布、果物などでお供えして めいめいに玉ぐしをお供えして礼拝して 地鎮祭をおこなった。 そのあとは畑でとれたサツマイモ、大根、ごぼうと 自家製味噌でスイトンをつくって食べた。 総勢12人。

材木が届く

あさひ製材協同組合の鈴木氏が材木を搬入。トラックにいっぱいの材木はなかなか迫力。

旭町八幡製材訪問 森林、製材所見学

愛知県豊田市旭町 あさひ製材協同組合 鈴木禎一氏製材所を訪問し、山と林業の現在や 檜や杉の木の見分け方、大型の乾燥機など、 実際の材木をみながら話を聞くと、 理解も深まります。

夏祭り

愛知県立芸術大学において、「あいち子ども芸術大学」の一環として高針熱田神楽保存会による神楽の演奏と巫女舞、造形、そうめん流し、水鉄砲あそび、昆虫採集、音楽演奏などを企画、運営し、造形と音楽、コミュニケーションなどのクロスメディア的な体験の場をつくった。

2007年8月25日(土)10:00〜15:00
愛知県立芸術大学長鶴池
主催:あいち子ども芸術大学実行委員会


巫女舞
高針熱田神楽保存会の皆さんの神楽の演奏と中野幹子、しょう子さんによる巫女舞


造形
水鉄砲やマイ箸、笛などをつくりました。


そうめん流し
お待ちかねのそうめん流しでたのしく昼食


水鉄砲あそび
自分でつくった水鉄砲やホースの水で水をかけあって遊びました。暑い日には最適です。


昆虫採集
近くの池でトンボや水生昆虫を捕まえて遊びました。


休憩
暑い日には木陰がなによりです


おやつ
3時になったらスイカのおやつ。水分補給も大切です。


歌と踊り
最後はみんなで輪になって歌って踊りました。


解散
長い一日、みなさんありがとうございました。

2007年度 せかいがかわる展

川口由一講演会+パラレル食堂+森を歩こう

愛知県長久手市ごじから村ほとぎの家及び名古屋市名東区猪高緑地において、一般市民を対象とした森を歩くフィールドワークと自然農の講演会、自然農で栽培した野菜による食事会のクロスメディア的な参加型のイベントを企画・運営を行い、身近な自然や自然農への理解と市民の交流の促進をおこなった。

2007年10月8日(月、祝)15:00-20:00
ゴジカラ村ほとぎの家(愛知県長久手市)
猪高緑地(名古屋市名東区)

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2007年度ストーリーをつくる

パフォーマンスやネットによるストリーミング放送などがおこなわれました。

バリ島(インドネシア)

ウブドのアーティスト、カルタの家の離れに泊めてもらう。
近くの泉で毎日沐浴。水は冷たいのにその後なぜか体が温かい。
近所の神社の祭礼に正装して参加させていただいたり、
キンタマーニ山で朝日を拝んだり、聖地を回ったり、
とても恵まれた旅だった。
バリ島は島全体が聖地のようだ。

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美濃開闢物語

岐阜県恵那郡加子母村で開催された、住民参加型のイベントの会場装飾を行い、地域の住民との交流をおこなった。開場前に玄関前で太鼓や鳴りもので、客寄せをする。1階の大広間では太鼓の演奏と巫女舞、フリースタイルの舞踏のパフォーマンスが行われた。2階の広間では深田剛史氏のトークと、小島さちほさんのライブがおこなわれた。最後は全員で踊って会場が一体となって盛り上がっておわった。

2007年7月1日
加子母研修交流施設 「ふれあいのやかた」 (岐阜県中津川市)

企画:深田剛史
歌:小島さちほ
踊り:ゆみ

アートの森プロジェクト、野焼き

愛知県立芸術大学で、学生や地域の住民を対象として、土の採取から造形、薪の採取から焼成まで、自然素材を使った陶芸体験のワークショップをおこなった。窯もなく、野原で木や木の葉を集め 、道具も使わず、プリミティブでダイナミックな造形の原体験を提供することができた。

2007年5月14日-6月5日
愛知県立芸術大学長鶴池、大工房
大学院美術特別研究
平成19年度愛知県立芸術大学学長特別研究助成
講師:堀井隆(陶芸家)


1-土の採取:5月14日(月)13:00-16:00
愛 知芸大の敷地内で、野焼きの素材となる土の採取をおこないました。 まず美術学部アトリエ裏の鋳造室横の土、そして長鶴池の土を採取しました。様々な場所や色、感触の違う土を採取して、どのような焼き物になるか、本当にで きるのか、わくわくしながら採取をすすめました。採取した粘土質の土から小石などを取り除いて、購入した陶土を混ぜて、よく練って陶土のできあがり。


2-造形  5月21日(月)13:00-16:00
いよいよ造形のスタート。造形ができたらベンガラで着色したのち、10日から2週間、十分乾燥させます。


3-焼成 6月4日(月)7:00-16:00
乾燥させた作品を、耐火煉瓦に網をのせたところに丁寧においてゆきます。ある程度火で熱せられたら、最後に大量の木の枝、落ち葉、籾殻などを周囲に集め、一気に燃やして火力をあげます。火が沈下したら、トタン板でふたをして、一晩置きます。


4-作品取り出し 6月5日(火)10:00-12:00
次の朝、熱が下がったら、灰の中から作品を慎重に取り出します。思ったほど割れることもなく、最初としては上々のできばえでした。

2007年度 無形のデザイン

演劇やゲームをしたり、穴に埋められたり、妙な体操をしたり、水をかけられたり、、、様々な形態の企画、表現がありました。

あなた・わたし・みんな てんこもり

愛知児童総合センターの委託により「コミュニケーションの機能としての祭り」をテーマとして、2ヶ月にわたって、地域の子供を対象として仮装、フェイスペインティング、音遊び、体遊び、パレードなどによる、参加型のクロスメディア的な体験を提供した。

2007年3月18日-5月13日
毎週土日開催、計18回開催
愛知児童総合センター、愛知県長久手市
委託:愛知県児童総合センター(財団法人愛知公園協会)
企画、ディレクション:石井晴雄(環境メディア研究会)
研究協力者:樋口仁、野呂有里、浦雅子、伊藤美穂、船橋一華他
撮影:本田千穂、内藤祐子、石井晴雄

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たき火プロジェクト

愛知児童総合センターの企画により、 メディアアートの展覧会「エキゾチック」展で、火をテーマに参加型の展示とワークショップを行った。火を扱うことが少なくなった地域の子ども達に、蜜蝋でロウソク作りや、火を使った料理作りなどの多様なワークショップを通して、火を使うことの意味やたき火のにおい、たき火をした後の気持ちよさを感じる体験を提供した。

2007年1月28日
愛知児童総合センター
主催:愛知児童総合センター

企画、ディレクション:石井晴雄
スタッフ:野呂有里
エキゾチック展企画:茂登山清文(名古屋大学)

http://www.acc-aichi.org/aburabu/34go/syosai.html#07


メディアアートの展覧会「エキゾチック」展の一環として、たき火プロジェクトを行った。最近、焚き火をすることがなくなった。できたとしても消防署の許 可をとることが必要であったりして、子供たちが焚き火をする体験もあまりないかもしれない。そこでたき火を起こして、そこで様々なコトがおこる場をつくる ことをとおして様々な有形、無形のものを創りだしてみたいと思った。
なにかをしてもよいし、なにもしなくてもよい。 ただ焚き火をしたり、薪や枯れ枝、枯葉をあつめたり火にくべたりするだけでもよい経験になるかもしれない。また火をみているとなんだかとても気分がおちつ いたり、 たのしくなったり、なつかしい気持ちになったりする。火には不思議な力があるようだ。また火を囲んでいると自然と会話がはずんだり、なにも話さなくてもい いような気持ちになったりする。ただ火があるだけでなにか「状況」「場」をつくりだされる。
万博跡地からは夕日がきれいに見える。 焚き火をしながら夕日をぼんやりみる、ただそんな「時間」がつくれたよいと思う。

1-蜜蝋ろうそくづくりワークショップ
蜜蝋を体温で融かしてろうそくをつくった。冬の寒いさなかに、たき火の火で手と蜜蝋を暖めながら徐々に融かしてろうそくの形にしていく。なかなか融けないけれど、いそがずにのんびりじっくり取り組んだ。

  


2-お団子を焼いて食べる
お団子をたき火で焼いて食べた。寒い日にはお団子の焼けるこおばしい香りがたまらない。


3-パンを作って食べる
その場でイーストを混ぜた小麦粉を練って、おなかの中に入れて発酵させてパン種をつくり、竹の先に巻き付けてたき火であぶって食べた。おいしそうな焦げ目がついたらできあがり。


4-焼き芋を焼いて食べる
サツマイモをアルミホイルに包んで、少し下火になったたき火に投げ込んでしばらく待つと、焼き芋のできあがり。みんな夢中でほおばりました。メザシやマシュマロなども焼いて食べました。


5-あたたまる、あつまる
まだ寒い冬の日に、たき火のまわりにただあつまってあたたまりました。そこで自然に会話がかわされたり、同じ時間と空間を共有するだけで十分楽しい体験を することができました。プリミティブな火が太古の昔からの人間の本来の姿を呼び覚ましてくるのではないかと思いました。


焚き火メディアである

はじめに
羅針盤の発明によって西洋航海術が発展し、大航海時代が到来した。グーテンベルグの活版印刷術によってルネサンスと宗教改革という意識革命がおこった。あらゆる文明の興隆と意識革命の影には、それを支えたテクノロジーとメディアの存在があったのだ。しかし火ほど多大な恩恵を人類に与えたものはない。火こそが人類が始めて手にしたもっとも偉大なテクノロジーであり、メディアだったのだ。

コミュニケーションの原点としての火
火はノロシや灯台として交信に使用され、また夜道を照らし、道しるべとなり、火のあるところをめざして人が集まる。祭りの中心には常に火があり、オリンピックは、太陽の光を集めて作られた聖火の到着とともに始まり、聖火が消えるとともに終わる。誕生日にはロウソクに火を灯し、それを吹き消すことによって新たな歳を迎える。また仏壇には灯明が灯され、先祖の霊の道しるべとなる。火はアクセスルートを確保し、人の意識と情報を集約し、人類初のリモートコミュニケーションテクノロジーであった。また彼岸と此岸、生命と魂、死と再生の媒介者であり、すべての生命と物質、エネルギーの根源である太陽の分身である。

火はコミュニケーションのプラットフォーム
そして火はコミュニケーションのプラットフォームである。太古の昔より火を囲んで民族の歴史や伝承は語り継がれ、また火を囲んだ語らいによって、人間の意識のバリアは解消される。人類は火を囲んで食事をし、語らい、そしてともに寝た。部族の集会の中心には常に焚き火があり、家族の中心にはいつも火があった。火は常に家族のぬくもりとともにあり、家族の永続性と安らぎをもたらすものとして、細心の注意をもって守られてきた。また人類は火で食物を加工し、調理することによって多様な味覚を発達させ、感性を拡張してきた。そしてゆらめく炎の1/Fゆらぎ効果は人間の快楽中枢を刺激し、火と煙の匂いとともに、DNAに刻み込まれた人類の太古の記憶を解放する。火は人類の文化の根源なのだ。また人間は、分厚い毛皮を持つ他の哺乳動物たちとちがい、薄い皮膚に覆われた脆弱な身体を持つ生き物であるがゆえに、皮膚の延長として衣服をまとい、住居を建設した。そしてその内外で焚かれた火は第二の体温であり、サイバネティックに拡張された身体の一部であった。

火の代替物としてのテクノロジー
火は焼く、煮る、香りを出す、消却する、暖をとる、闇を照らすなど、実に多彩な用途に対応し、またそれらを同時におこなうマルチパーパスでマルチタスクなプラットフォームである。そして子供も大人も誰もが手軽に使えるフリーアクセスツールである。しかし火を失った現代人は、その代わりに数々の火の代替物を必要とするようになった。電灯はロウソクの火の代替物であり、電子レンジ、IHヒーター、そしてテレビやパソコンさえも暖炉や囲炉裏の代用品であるかもしれない。すべてのテクノロジーは火の代替物であり、アナロジーなのである。また現代社会の主要エネルギーである電力の多くは、石油の燃焼によって生産され、また主要な移動手段である車もまたガソリンの爆発的な燃焼によってその駆動力を得ている。形態は多様化しても、人間の社会は常に「火」によって動いているのだ。火はすべての社会の根低にあり、我々の社会活動の源泉 なのである。

火に宿る狂気
この惑星系は水素原子の核融合反応の連鎖によってできた、太陽という火の玉によって維持されている。また地球上においては、可燃物の急激な酸化反応によって熱と光が放出され、その熱エネルギーがあらたな酸化の連鎖反応をひきおこし、燃焼という継続的な現象を引き起こす。それは個体から気体への変容であり、エネルギーの交換である。火は美しい。しかし近づきすぎると火傷をする。また不用意に扱うと火事の元となる。火は多彩な用途と神秘性を持つ一方、大きな危険性ともまた表裏一体である。そのアンビバレントな両義性と魔性性は人間を虜にし、理性的思考はその火に宿る狂気を恐れる。ヨーロッパ中世の魔女狩りで、「魔女」たちは「火あぶり」にされたのも必然であるのかもしれない。

人の心にも火はともる
そして人の心にも火は灯すことができる。それは人の心の潜在的な可燃性因子である感情の連鎖的科学反応をおこし、さらに燃え広がってゆく。火は誰の心にもアクセスするオープンプロトコルであり、人の心に連鎖的なネットワークを作り出し、心のプロテクトをはずすネットワークキーである。

まとめ
最近、焚き火をしなくなって久しい。防火意識の高まりで、焚き火は危ない、火は悪いものという意識さえ常態化している。そして火は我々の日常から姿を消し、電気に身をやつし、エンジンの中で密かに燃えるものとなってしまった。そして火の力は、すべてをブラックボックス化してしまう現代社会によって抑圧され、隠蔽されてしまった。火を失ってしまった人類は太古からの歴史、そして心の中の光と熱までも失ってしまったのではないだろうか。そして道しるべを失ってしまった我々の魂は、現世をさまよいつづける。焚き火は実体のあるものは何も創造しないが、それは燃焼という現象を利用した動的な「状況」であり、時間と場の創造である。そしてその場によって実にさまざまな「コト」が創出されるプラットフォームであり、したがってそれはすこぶるメディア的だと言えよう。そして焚き火は忘れていた人類の原始の記憶をたぐり寄せ、我々自身の存在の根源を目覚めさせてくれる普遍的な装置なのである。