地域から生まれる文化

歴史的に見ても日本における文化は、
庶民によってつくられてきた。
地道ではあるが地域に根ざした文化活動こそが、
もっとも永続性のある文化活動になるのではないだろうか。

ヨーロッパで目にした、地域で文化を育てる姿勢と社会の体制、構造

ヨーロッパを旅するとヨーロッパの都市は中世以来の城塞都市を中心としたシティーセンターと、その周辺の地域によって形成され、その都市間をフリーウェーや鉄道が結んでいるという分散型の独立した構造になっている。ヨーロッパの都市はもともと各地域に独立性と自治意識が高く、そのような歴史的な都市の成り立ちを背景に、自分たちの都市のアイデンティティーを外部に発信するとともに市民に誇りを持ってもらうためのものして、文化を戦略的にとらえて活用している。
そのアイデンティティーの表し方は多様で、ある町はビール祭りであったりスポーツであったり、アートフェスティバルや音楽祭、映画祭、パフォーマンスアートフェスティバル、ビデオアートフェスティバル、メディアアートフェスティバルなどの文化的、芸術的な催しであったりする。そしてそれぞれの地域にそのイベントを主催する主催者がいて、その背景に主催者や出品アーティストを支援する助成団体や協賛企業があり、地元の行政やメディア、そして地域住民のサポートがある。いずれにしても文化とは自分たちでつくってゆくものだという意識が社会の中で一般化している。
一方ヨーロッパには未だに隠然とした階級格差が存在し、アメリカにおいては明確な経済格差が存在する。そのような格差社会を背景にして、アートはその時の権力者やお金持ちの権威を誇示するための道具として使わている側面もある。今ならアラブの石油王たちがアート作品を買い漁っているというが、アートが存在する背景には「持てる者が持たざる者に施しをする」という、富の再配分的な側面もあり、そのような歴史的な背景にあってパトロン文化が発達し、寄付に対する税制的な優遇策や、各種の芸術助成団体が存在している。

住民参加型、地域から、地域でつくる文化

日本においても室町時代や安土桃山時代などにおいては貴族化した武家社会を背景に、武家の権勢を誇示するために茶の湯、生け花、能などの芸術、芸能、文化が花開いた時代があった。しかし江戸時代になると徳川幕府は質素倹約を奨励し華美な芸能を禁じたため、総じて芸術、文化はつつましい発展を遂げ、歌舞伎や浮世絵などの庶民文化が、時として幕府からの弾圧を受けながら発展する。
江戸時代の日本は士農工商という身分制度は存在したが、社会の経済格差は小さく、時の権力者が芸術家を庇護して育てるという構造はありえなかったので、芸術家はお上からの庇護をうけるのではなく、自分たちで芝居や浮世絵を創作して庶民に訴えるというように、主体的に文化、芸能、芸術を創造するという意識が強かったようだ。現在も江戸時代同様、社会格差の少ない日本(図-1)においては各地のお祭りや、マンガ、アニメ、ゆるキャラなど、お上からの支援ではなく一般市民や地域の住民の自助努力によって文化を作り育てるという側面が強い。そのような庶民芸術は一般に「サブカルチャー」と呼ばれ「大芸術」からは一段下にみられる傾向があるかもしれないが、今やそのサブカルチャーこそが「クールジャパン」の騎手ともなっている。日本ほど地域のお祭りが盛んな国も珍しいそうだが、そのような庶民の中から発想し創造された文化こそ日本的な文化のありかたであり、自らの手で独自の文化をつくってゆくという日本人の民度の高さであるかもしれない。
日本には文化を支援する社会のシステムがない等とよく聞かれるが、そもそも文化的な支援とは「持てるものがもたざるものを支援する」という格差社会を背景にした構造であるとすれば、日本のような格差の少ない国においては実現することは難しいし、むしろ必要がないことなのかもしれない。逆に言えば日本はそれだけ格差の少ないフラットな社会構造を持ち、自分たちの自助努力によって文化を創造する民度の高い民族として評価されるべきなのではないか。

もっとも安定した文化支援システムとしての住民参加

元来日本の国家予算に占める文化予算の割合は低くい(図-2)。さらに近年の景気の低迷によって地方公共団体の文化行政の予算は年々減少している(図-3)。企業メセナの予算もバブル以降低迷したまま全体として横ばいの状態だ(図-4)。1980~90年代のバブルの頃にあれほどあった現代美術系の画廊は近年減少している。いったん経済状態が悪化すると企業はメセナから撤退するし、自治体は文化予算を抑制するという現実を我々はバブル以降に度々目にしてきた。文化について行政や民間からなんらかの支援をうけながらおこなうことは、その時の政治や経済の状況に左右される傾向があり、安定的に文化を醸成し活動を継続してゆくことは難しいのではないか。
しかしながら日本には庶民が芸術、文化を守り育ててきた歴史がある。住民の主体的な発意によってなりたっているイベントやお祭りにはそれこそ何百年も続いているものもあり、いわゆる公的資金やお金持ちからの寄付、協賛金のみに頼るのではなく、住民が主体的におこなうイベントや文化活動こそが日本においては一番安定的に文化活動を継続できる手段なのではないだろうか?

日本の文化のありかたとは

ヨーロッパやアメリカには文化を戦略的に活用し支援する社会的、財政的なシステムがあり、それが日本にないのは寂しいという思いもあるかもしれないが、日本には日本の文化、芸術のありかたがあるのではないか。それはアニメ、マンガかもしれないし、もしかしたらゆるキャラ、B級グルメかもしれない、地域のアートフェスティバルであるかもしれないし、地域アイドルかもしれない。庶民の自発的な発想から創造される庶民文化こそが、日本の文化のあり方なのではないだろうか。
現在はインターネットやさまざまな生産技術の発達によって、地域や一般市民の創作や情報発信が大いに可能になっている。浮き沈みの激しい行政や民間の文化芸術支援に依存するより、地道ではあるが地域に根ざした活動こそが、もっとも永続性のある文化活動になるのではないだろうか。

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