オープンでフラットなコミュニケーションのための アートとデザイン、音楽、食、農、自然、子供、情報

人の共感感覚と同質性を浮かび上がらせる感覚的、情緒的側面

現代社会は価値観が多様化し、細分化、階層化が進み、人と人とのコミュニケーションのベースが希薄になっている。そしてコミュニティーという社会基盤が失われつつある。そのような社会背景の中でオープンでフラットな意識を形成するために、アートやデザイン、農、自然、子供、そして情報テクノロジーは有効である。論理的、分析的思考は物事を数値化し、分断し、差異性を浮かび上がらせるのに対し、アートやデザイン、農、自然、子供に対して誰もが感じる美しい、心地よい、可愛い、おいしいなどの根源的で感覚的、情緒的側面は、人々の共感感覚と同質性を浮かび上がらせ、地域のコミュニケーションとコミュニティーにおいて重要な役割を果たす。

人と人、地域をつなげるアートとデザイン、音楽

例えば祭には衣装や扮装、音楽、踊り、練り歩くなど、非日常的な行為がつきものだ。普段の日常の社会的な意識、ペルソナに縛られた人の精神を解放し、人の意識を転換する装置として衣装や扮装、音楽、踊り、しつらえなどの行為や装置がある。それらの行為や装置を使用することによって、日常生活での社会的な顔から解放されて、人は自由な気持ちになる。現代においてそのように普段の日常とは違う空間や新しい出来事を出現させ、人の気持ちを触発し、新たな人の流れや交流を生み出す場をつくるものとして、アートやデザイン、音楽は有効である。

食がつくる共感感覚と祝祭性

食べるという行為はどんな年齢や社会的なバックグラウンドの人でもおこなう行為であり、食べるという生物にとって根源的な行為と「おいしい」と感じる味覚は、人と人との共感感覚を呼び起こすために重要なファクターになりうる。また一緒に調理をしたり食べたりすることは、親密な共同体験を作り出すことができる機会になる。調理に使う食材は、できるだけその地域で自分たちで栽培、収穫した野菜や穀物を利用するようにしたい。春の種まきから世話をして秋に収穫して調理して食べるという体験には、自ずと自然の恩恵を感じられる。そして皆の労働をねぎらう気持ちとあいまって、収穫した作物を調理してた皆で食べるという行為には自ずと祝祭性を帯びてくる。その祝祭性こそがアートやデザイン、音楽などの芸術、芸能の原点ではなだろうか。

コミュニケーションのベースとしての農と自然

畑で耕作することによって地域の人たちや、一緒に農耕体験をする人たちとのコミュニケーションをすることができ、自ずと地域の人達や地域社会と関わることができる。また田や畑、自然の中で活動をすることによって、人の気持ちは解放され、自然にオープンなコミュニケーションをおこなうことができるようになる。都会には現代社会の価値観を表現する記号が溢れている。ときにはそのような記号とは無縁な自然環境の中に身を置くことによって、現代社会が作り出すペルソナから解放され、オープンなコミュニケーションが可能になる。

子供がつくる共同体感覚

地域において子供は大人達を、そして地域社会をつなぐ強い引力を持つ。現代の多様な社会的なバックグラウンドを持つ大人同士はスムーズなコミュニケーションをすることが困難な場合があるが、子供がその場にいることによって子供達の親として、また地域社会の大人として共通の感覚をもつことができる。また協力して子供達の安全を確保したり遊び相手になったりすることによって、自然と共同体感覚が芽生えることになる。また子供は大人のように社会的意識が発達していないので、誰に対してもオープンなコミュニケーションを行う。そのような子供に触れるときに、大人の精神も自然に解放されることになる。

オープンでフラットな情報テクノロジー

情報の格差や閉鎖性があってはオープンで円滑なコミュニケーションをおこなうことはできない。近年のインターネットやスマートフォン、SNSなどはオープンでフラットで誰もがアクセスし、情報発信できることを開発思想としている。それらのオープンでフラットな情報テクノロジーの発達と普及によって、人間の他者への共感感覚や地域社会への参画意識は拡張される。そのような情報テクノロジーを有効に使うことは地域のコミュンティーの発達において非常に重要になる。

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