大学院美術特別研究 環境とメディア 自然農体験

大学院美術特別研究「環境とメディア」では、
愛知芸大内の畑での自然農の体験をおこなっている

ワークショップとしての農業体験

この授業ではワークショップ形式で、自然農という方法で農業体験をおこなっている。「ワークショップ」は一方通行的な知識や技術の伝達でなく、参加者が自ら参加・体験し、グループの相互作用の中で何かを学んだり創り出したりする、双方向的な学びと創造のスタイルとして定義されている。ファシリテーターと呼ばれる進行役が、参加者が自発的に作業をする環境を整え、参加者全員が体験するものとして運営される。指導者から何かのスキルを教わるのではなく、創造のプロセスを体験し、参加者が双方向に刺激しあう場がワークショップと言われる。
この授業では、まず農業体験ができる土地とある程度の知識を伝える。共同で運営する畑と、個人が主体的に考えて野菜を育てる畑に別れており、そこでは何の種を蒔くか、どのように育てるかは学生の自由にまかされている。一方向的な授業ではなく、参加する学生自身が自分で試行錯誤しながら何を学んでゆくかは自分自身にゆだねられている。その結果、自分で野菜が育てられるとは思わなかった、取れ立てのトマトのおいしさに感激した、動物に作物をやられたりうまく育てられなかったときは農業の大変さがわかったのでこれからは食べ物を大切にしたいなど、非常に多様な感想が学生から上がってくる。たとえ失敗からでも何かを学び取ることができるようだ。ちゃんと自分の畑をケアしていれば野菜もよく育つが、あまりケアしていないと雑草がはびこってうまく育たない。そんなことからも丁寧に持続的に物事にかかわることの大切さを学ぶこともできる。
教育の現場ではとかく学生を成功体験へと導くことをめざしがちだが、もっと長期的視野で、言葉で教えるより実際に体験し、体感し、成功や失敗を繰り返しながら自分でつかみ取ったものは自身にとって忘れられない体験になるのではないだろうか。

セルフビルド体験としての農、自然農から考える現代社会

この授業は自然農法という農法で農業体験をおこなっているが、 この授業の目的の一つは、学生にセルフビルド体験をしてもらうことだ。農耕ほどセルフビルド的(自給自足的)なものはないかもしれない。だれもが少しの土地があれば野菜を育てることができるのだが、自分が食べる食べ物は買ってくるものだという経済システムに疑いを持たず、自分の生存を巨大な経済システムに依存し、自分の生命を自分で維持するという、人類が太古の昔からおこなってきた当たり前のことを忘れてしまっている。
自然農について考え実践することは、現代の近代化された社会の問題を考えることにもつながる。近代の農業は大量の化石燃料を消費する機械と大量の肥料や農薬を必要とし、巨大な種苗メーカーに依存している点で自給自足的、セルフビルド的ではないが、本来の農耕は家畜の糞や雑木林の落ち葉などから堆肥をつくり、機械も必要としない自給自足的なものであった。本来土地さえあればだれでもできるセルフビルド的なものであったはずだが、それさえままならなくなっているのが現代の状況だ。

自然農とは

自然農とは、福岡正信氏や川口由一氏が提唱し実践した、雑草も取らず土も耕さず、無肥料、無農薬でおこなう 農法のことだ。近代的な農業では不可能と思われてきたそれらのことを、自然の力のみで行う農法だ。しかしその方法は決して新しいものではなく、日本古来よりおこなわれていた伝統的な農法がベースになっており、近年、耕作機械や化学肥料、農薬の普及によって、その知恵は急激に失われてしまった。自然農とは機械化、近代化によって失われてしまった耕作の知恵の復活であるとも言えるだろう。

近代的な農法とは

まず現在一般的に行われている近代的な農法とは、どのようなものなのだろうか。作物の作付けの前には前作の葉や茎、根などの残さはきれいに取り除かれ畑の外に持ち出される。そして大量の堆肥や肥料が畑に持ち込まれ、トラクターなどで畑全体にすき込まれてゆく。その時雑草なども土中にすき込まれてゆくので、トラクターが通ったあとの畑は草一本生えておらず、土の表面が露出した状態になっている。露出した土はその後、ビニールなどのマルチでカバーされ、雑草の繁茂と土の乾燥が防止される。
その後マルチの穴から化学肥料などが施された後、野菜の種がまかれたり、苗が植えられる。マルチがしかれた畑には雑草は生えることはないが、雨水は土には行き届かないので、株元に開いたマルチの穴から水をやることになる。マルチがしかれていない畑では、雑草が生えるときれいに抜かれるか除草剤がまかれ、いつも土の表面が露出した状態におかれる。成長して病害虫が発生したら、農薬を散布したり病気や虫食いの葉や苗そのものは取り除かれる。作物が収穫し終わった後は、前回と同様に残った茎や葉や根は畑の外に持ち出され、処分されたり燃やされたりして、その後前回と同様に堆肥や化学肥料を施される。この一連の作業は毎年欠かさずおこなわれ、多くの肥料、農薬、農機具、ガソリン、種などを購入する必要があり、多くの労力が必要となる。

自然農について

一方自然農とはどのような方法だろうか。自然農とは前述した近代農法で行われている様々なことを一切行わない。つまり耕さず、肥料も水もやらず、雑草もほとんど取らず、何も持ち込まず、何も持ち出さない農法である。

雑草は友達

まず種まきの前後に前作の作物の葉や茎、雑草は株元で刈り取ってウネやウネ間に置き、天然のマルチとする。それは土壌の乾燥防止を助けるとともに、雨水による養分の流出を抑え、地温の上昇と下降を抑え、やがて分解されて堆肥となり、作物に還元される。根はそのまま地中に残しておけばやがて堆肥化し、また根が分解された後にできた空気の穴が通気をよくし、土を柔らかくする。雑草があまり大きくなって野菜 の株が日陰になったり、成長の邪魔になるようであれば根元から切って取り除くが、基本的に雑草は取り除かなくてよい。雑草が生えていても防風の役割を果た したり地温の上昇を防止し、土中の水分の蒸発を防いでくれるなど、雑草は作物とお互いに競い合い支え合う共生関係にあり、周りの草を取り除くとかえって野菜に元気がなくなってしまうように見えることもある。
雑草を刈ると、養分や水分の足りない分を人為的に補わなければならず、結果として多大な労力とお金を使うことになる。雑草は土壌を豊かにして、作物の生育に適した環境づくりに大いに貢献してくれているのだ。

耕さない

一般的におこなわれている農法と違い、作物の種まきや定植の前には土は耕さない。耕すことによって土の団粒構造や通気性、土中の微生物のコロニーを破壊しないためだ。自然農の畑では、耕さなくても土は自然の力によっていつも柔らかいふかふかの状態にある。また雑草などもそのままにしておくので、土は自然の状態でいつでも適度な湿り気を帯びた状態になる。雑草も取り除かず、前作の根なども取り除かないが、その根が畑を耕す役割をしてくれる。またそのような環境ではミミズなどの生物も土中に生息しやすくなり、さらに土壌を豊かにしてくれる。

肥料はいらない

前作の残さや雑草を刈ってウネやウネ間、作物の株元に寄せておけばそれらはやがて肥料になるので肥料をやる必要はない。多くの養分を吸収する根は、 土の表面近くに横に広がる性質があるので、残さは土中に鋤き込むのではなく土の表面近くの株の周りに置いておくだけでよい。地中に深く伸びる根は水分を吸収する役割があり、深く肥料を入れるとその根に養分があたって肥料過多になり病気の原因になるそうだ。
しかし開墾したてのあまり肥えていない土地では、近くの林の落ち葉や腐葉土などを堆肥として利用する。ある程度土が肥えていれば、前作の根や葉、茎、雑草などを畑に残しておくだけでやがて堆肥化し、肥料を入れる必要はなくなる。
化成肥料を使うと作物の成長には目に見えて効果があるようだが、堆肥のように土壌を改良する効果がないので土の活力は失われ、やがて土が固くなり、人為的にトラクターなどで土を耕す必要がでてくる。

水はやらない

水はやらなくても雨水だけで十分だ。雑草を株の周りに生やしておいたり、刈った雑草や残さをウネや株の周りに置いておけば、直射日光による土中の水分の蒸 発を防いでくれるので、土の中は常に適度な湿り気のある状態に保たれている。人間がジョウロで水をあげても作物はあまり成長しないが、雨が降ると作物はグッと成長すると言う。雨水には植物を成長させる不思議な力があるようだ。

虫は害虫ではない

野の草花が病気になっているところを見た事がない。野菜などの作物が病気になるということは、何か不自然で不健康な状態にあるということなのだろう。病気の原因は 様々だろうが、肥料をやりすぎて栄養過多になっていたり、耕すことによって土壌のよい環境が破壊されてしまうことが原因の一つでもあるようだ。また雑草と一緒に作物を育てると、虫がいても周りの草に分散して、作物だけに集中することがないので作物への被害は少ないという。

最適な種を選ぶ

トマトなどは大きな実がなっていたが、雨にあたって膨張してはじけてしまうことがある。しかしミニトマトなどは放任で育てていても病気もほとんどない。ミニトマトのほうが原種に近いそうだが、品種改良して大きく実らせるようにした品種などは、雨にあたらないようにハウス栽培するなど、それなりに栽培にも手がかかるようだ。もともと日本の気候になじまない野菜を手間をかけて育てて、結果として病気や害虫の対処や世話に忙しくなってしまうのであれば、いっそのことそのような野菜は作らない、食べないという選択もあってもよいかもしれない。
あるときゴマの葉が全部虫に食べられてしまったことがあった。しかしその時にはゴマは既に種をいっぱいつけており、すでに葉は役割を終えていたようだ。虫は病気になったり弱った葉を食べてくれているという説もある。自然界には実にデリケートなバランスが存在しているようだ。

採種、固定種、在来種

現在一般に売られている野菜の種はF1種(一代交配)といって、均一で大きな実がなり多収が見込めるよう人工的に交配してつくられた種なのだが、種ができてもそこから親の世代の性質を受け継ぐことはない。だから毎年種を買わなければならない。世界中の作物の大半はそのようなF1種によってできており、アメ リカのモンサント社のような巨大な種苗メーカーが独占的に生産、販売している戦略的な商品なのだ。F1種(一代交配)をつくる理由はただ一つ、種苗生産と販売を独占することだ。農家が自由に自家採種したのであれば種苗メーカーは儲からない。したがって蒔いても芽が出ない種を売ることによって、永久に種苗メーカー製の種に依存しなくてはならなくなるようにしているのだ。
一方現在はその数は少ないが、在来種といってそれぞれの地方で代々受け継がれている種や、固定種といって遺伝的に安定して種が取れる種もある。それらの種は 栽培した野菜から採種された種によって栽培が可能なものだが、特定の地域や種苗店や種苗交換会などで交換、取引されていて、一般に出回ることは少ない。
在来種や固定種は、その地域で長年栽培されているため、栽培される地域の気候、風土にあっていないと栽培が難しく、均一に生育しないと言われるが、その土地で育てれば長年その土地で育ってきただけあって、抜群に生育状態がよい。独特の 風味と味わいがあり、全国どこでも均一化してしまった現在の野菜に対して、野菜本来の多様性と地域性を感じさせてくれる。

自然農を実践することは、現代の社会の問題について考えること

虫が喰っていなくて大きくて形がよく均質な野菜をつくるというのは、野菜の商品価値を高め、流通しやすいようにするという発想からきていることなので、自分たちで野菜を作って食べるのであれば、例え小さく形が不揃いでも構わない。それよりも健康で美味しい野菜を食べたいと思う。それによって例え形が不揃いでも成長がゆっくりでも、それがその野菜本来の姿であればそちらのほうがよいと思うし、野菜づくりのマニュアルにしたがった結果、手入れが面倒になって しまって畑仕事が苦痛になってしまうより、自然放任で、それでいて健康で元気な野菜ができるのであれば、そのほうが畑仕事も楽しく、長続きするだろう。
自然農について考え実践することは、現代の 社会の問題を考えることにつながるのだ。

>授業の記録

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