親と子の野外活動ワークショップ フォレスト

2008年〜以後毎年8~10回開催

発表:2014年日本デザイン学会第61回春季研究発表大会口頭発表
テーマセッション A7-06子どものためのデザイン部会:「子どものためのデザイン」
子供の野外体験ワークショップ「フォレスト」
助成:2008年度愛知県立芸術大学学長特別研究助成
企画、運営:石井晴雄、宮崎喜一(?アート&ライフ自然学校)、中野敬子(アトリエフラワーチャイルド)

はじめに、希薄化する現代のコミュニティー

 

概要

「フォレスト」は愛知県立芸術大学の豊かな自然環境の中で、地域の子供が地域の大人や学生と関わりながら野外体験、農耕体験、自然素材を生かした造形体験をするワークショップシリーズである。2008年より開始したこのワークショップシリーズは年間8回から10回程度、季節によって移り変わる様々な自然の要素をもとに、毎回テーマを変えて開催している。一回の参加者は子供10名〜15名程度、大人10名程度。子供は原則として小学生を対象としている。

[フォレスト」の趣旨]

コミュニケーションのプラットフォームとしての野外

都市化によって分断されてしまったコミュニティーにおいてコミュニケーションを復活させるためには、まず誰もが参加できる共通のプラットフォームが必要なのではないだろうか。しかし現代社会は何事も分業化され価値観も多様化しているので、誰もが共通の体験や価値観を共有することが難しくなっている。そこで誰もが参加できるコミュニケーションのプラットフォームの一つとして野外活動は有効であると考える。
野外では参加者の社会的なバックグラウンドが多様であっても、お互いにあまり事前の知識や情報がなくても参加できる。例えば薪を拾う、薪で火をおこす、野菜を収穫する、調理するなど、野外空間の中ではすべての情報と行為はシンプルで可視化されているので、誰もが全体の状況を把握し、自分がやるべきことを認識し、自発的に参加することが可能になる。
野外での活動では、その人がどんな仕事をしているかとか、どこの学校にいるかという個人の社会的なバックグラウンドは関係なく、同じ野外という物理的な空間を共有しているという、その一点のみでのつながることになる。普段人間は社会生活を送っている時は自ずと自身の社会的な記号をまとい、自身のペルソナ(=社会的な顔)を演じているが、自然環境という人間のペルソナを演じることから解放される空間においては自ずとオープンな意識が生まれる。そしてそのような意識の状態になってはじめて、本来のコミュニケーションが可能になるのではないだろうか。

コミュニケーションの形としての働くこと

現代社会では何事も便利になってしまい、例えば火を使いたければガスコンロやIHヒーターのスイッチをつければよい。確かに安全で便利になったかもしれないがそこには工夫したりいっしょに共同作業をする機会が奪われてしまい、そして働くことを通して地域社会に参加する機会が失われてしまっている。しかし野外の環境の中では一人でいることはむしろ不自然で、自ずと共同で作業する必要性が生まれてくる。また高度に専門化された社会においては個人は社会や企業の中でパーツとして働き全体の中での自分の位置づけや自分の働く行為の結果がわかりにくく、働く意味を見い出しにくくなりがちだ。しかし自然の中では全てがシンプルでオープンであり、働く行為の目的や結果も明確に共有することができるので、働く満足感も得やすくなる。
本来働くことと金銭を得ることはイコールではない。貨幣経済が発達する以前の社会においても当然働くということはあっただろう。働くことは自分の能力が社会の中で機能し、その結果自分の社会における存在価値を自覚することの為にもあるのではないだろうか。人間は単なる自己表現や自己満足、お金のためや個人的な充足のみではなく、もう一段上の社会的な存在としての自己の位置を確認したいという欲求を持っている。働くということは社会的な満足を得る手段でもあるのだ。
しかし現代の社会は高度に分業化、階層化され、多くのものはブラックボックス化されているので、他の人が何をやっているのか見えにくい。大人は会社に行き、子供は保育園や学校に行くので、子供には大人が普段仕事で何をしているのかわからないし、子どもの学校のことは大人にはわからない。そして大人と子どもが同じ目線に立って仕事をしたり物事を見たり考えたりすることができず、そして親や学校の先生は常に子供に何かを「提供」する側であり、子供は常に提供されるものを「受け取る」側である。しかしひとたび自然の中で働くとき、状況は変わる。燃料となる薪は子供でも拾うことができるし、食べ物となる野草を子供が摘むこともできる。特別なスキルや知識を必要としないので、子供でもなんらかの役割を担うことができ、大人と子供の関係はよりフラットになる。

参加性と体験することの価値

「フォレスト」は、開始当初は愛知県立芸術大学の豊かな空間と自然環境の中で、なんらかの造形のプログラムをおこなうという方法で始まった。また参加は子供のみに限定していた。しかし、材料の調達や廃棄の問題、安全のためのスタッフの確保などの多様な課題が発生し、3年めからは主に農と食というテーマに重点を置いて開催した。また子供だけでなく親も参加することを可能とした。
農と食というテーマに移行することによって、従来まで「受講者」であった参加者が次第に薪拾いや火起こし、調理、洗い物や後片付けを自主的におこなうようになった。基本的な器具やテーマは主催者側が提供するが、その後は参加者との共同作業でおこなうことによって、参加者の参加意識も向上した。
親子での参加も可としたことによって、親子や家族単位での参加者が増加し、自分の家族以外の子供たちのことをケアしたり、いっしょに遊んだりする交流も生まれた。また多くの大人の目があることで、スタッフの安全管理へ割いていたエネルギーも軽減され、運営も安定した。
野外での活動は体力的にも精神的にも楽なものではない。それでも毎回コンスタントに参加者があり、そんな彼らの姿を見ていると、物質的に充足した現代社会においては、自らの身体でリアルな体験をしたり、人と体験を共有したり、共に何かを達成したりするといったことが価値を持つ時代になったのではないかと感じる。

物質的に豊かな時代、関係や体験をデザインする

フォレストは当初子供のためのワークショップとして始まったが、親の参加も可能としたことによって、ほとんどの親が参加するようになった。そしてその親達の関わり方も非常に積極的で、ワークショップの準備から作業、後片付けまで、親の参加がなければこのワークショップは成り立たないのではないかと思えるほどだ。最初は、参加する親たちは果たして積極的に参加してくれるかどうか未知数であったが、親たちを見ていると参加することを非常に楽しみにしてくれているようだ。そしてただの「手伝い」ではなく参加することに価値をみいだしてくれているように思える。親達の姿を見ていると、自分の小学生の子供との限られた時間を同じ体験をしてすごしたいとか、地域の人や学生と出会ったり共同の体験をしたり、自然を体験することを新鮮に感じたり、楽しいでくれているように見える。
近年は特に東北大震災以降の消費者の動向として体験型消費、参加型消費、つながり消費などのキーワードで語られることがある。モノが充足した現代社会においては新しい出会いをしたい、誰かと共感したい、人や自然との関係を通じて自分自身の人生を豊かにしたい、できあいのものを買ってくるだけでは満足せず、自らその創作のプロセスに参加し体験することによって満足を得たいといった生活者の意識の変化がより鮮明になってきてるのではないだろうかと、フォレストに参加する親達をみていて思う。そしてフォレストでは何も有形なモノはつくらないが、共有する時間や人との関係、新しい体験をデザインしているのだということに改めて気がつく。

今後の展開

「フォレスト」は現在は限られた参加者によるワークショップとして行われているが、そこで蓄積した経験を元に今後はより幅広い人達が参加できるワークショップとして、場所も長久手市内のより広い範囲に拡大し、より地域社会に開かれた展開を計画中である。

→ 親子の野外体験ワークショップ[フォレスト]

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