地域で活動する

ワークショップ、野外活動、農耕など

地域に根ざした持続的な活動をとおしてその地域のことをよく理解することによって、その地域に最適なコンテンツづくりやデザイン、情報発信をおこなうこと ができます。石井研究室では様々なワークショップや野外活動、自然農による農耕などの地域に根ざした活動をとおして、 その地域の自然や環境、歴史、風土、文化、人とのつながりを体験的に知る活動をおこなっています。

コミュニケーションのプラットフォームとしての環境

状況的なパーソナリティ

エド ワード・ホールは以下のように述べている。「人間を、多種多様の情報を与える、一連の伸縮する場によって囲まれているのだと考えるようになれば、人間を まったく異なった光の下で見直すことになるだろう。そのときはじめて、人間の行動をパーソナリティの型を含めて研究できることになる。内向型と外向型、権 威主義タイプと平等主義タイプ、アポロ型とディオニュソス型等々といった様々なパーソナリティの彩りや段階があるばかりでなく、われわれの一人一人が多く の習得された状況的なパーソナリティをもっているのである」(「かくれた次元」みすず書房、エドワード・ホール)。人間のパーソナリティーは固定化された ものではなく、その時の状況や人との関係、周囲の環境との相互作用によって変化するものなのだ。
例えば登山をしていて山道を歩いていると、すれ 違う人と自然に挨拶を交わすことがある。しかし山を降りて都会の歩道の上を歩いていると、もうすれ違う人と挨拶をかわすこともない。そんなことからも人間 の意識は周りの環境や状況に左右されるものであることが分かる。そして人の意識やコミュニケーションは、それが交わされる環境という初期条件によってその 質や内容が変化する。だから環境とは人の意識やコミュニケーションのプラットフォームでもありうるのではないだろうか。

メディアとは

一般的な意味においてはメディアとは、テレビやパソコン、新聞紙などの物理的なハードウエアや通信インフラといった環境と、テレビ番組やウエッブサイト、 文字や写真、音声、映像などのいわゆるソフト、コンテンツによって成りたっている。ししてその両方があってはじめてメディアはメディアとして機能する。い くらハードウエアの環境が発達しても、そこを流れるコンテンツがなければ、ハードウエアは無用の長物となるし、いくらコンテンツがあってもそれが流れる環 境がなければ、それは伝わることはない。
コンテンツ、ソフトとは、一般的にはテレビやラジオ、新聞、映画、インターネットなどのいわゆる文字や イメージ、音声による内容を意味する。例えば人はテレビを観て笑ったり泣いたり、様々な情動を喚起されたり、感覚的な刺激を受ける。しかし映像ソフト自体 は磁気的あるいはデジタル的に記憶媒体に書き込まれた単なる信号であり、また映像として再生されたときにはディスプレイ上などの光と色の明滅にすぎない が、それが人の網膜を通して脳内でイメージや情報として結像したときにはじめて、人間の内部に感情や知的な作用としてソフトは実体化される。つまりソフト とは「モノ」ではなく人が何かと関係したり相互作用することによって人間の内部に起こる動的な「状態」なのだ。

暮らしの中から豊かなソフトを回復する

テレビやパソコンなどの情報テクノロジーのみが人間の内面にそのような動的な「状態」を創り出すものではない。、人間の内的な感覚、感情を喚起するものは あらゆる日常生活の中に常に存在しており、人はあらゆる日常の出来事や人、周囲の社会や環境と関係、交流することによって、常にさまざまな感情や知的な刺 激を受けている。そしてその関係するものや環境の情報量が豊富であればあるほど、喚起される感情は豊かなものになる。
先端的な情報テクノロジー によって造られたソフトは、本来暮らしの中に存在していたソフトの擬似的な模倣、あるいは近代文明によって失われてしまった豊かな日常というソフトを補完 するものとして人間が造りだした、限定された感覚器官のみを刺激する不完全な代替物にすぎないのかもしれない。情報テクノロジーが発達する以前には豊かな ソフトを生み出す環境は自然の中や日常の生活の中に存在しており、情報テクノロジーによって生産される二次的な情報の洪水が、日常の中の豊なソフトを駆逐 していったのかもしれない。
現在、豊かな生活や暮らしというソフトを生み出すプラットフォームとしての豊かな自然環境や日常生活は失われつつあ る。また多くのものが溢れ、さまざまなテクノロジーや社会、経済のシステムが人間の生活に介入し、それが人間同士の関係や周囲の環境とのダイレクトな関係 を阻害する要因となっている。情報テクノロジーが生み出す二次的な情報によって人と人や自然との直接的な関係が希薄になり、そして幸福感といった一番大切 なソフトウエアが欠落してしまっているのではないだろうか。だから本来の自然や日常生活の環境をもう一度回復し、人間の暮らしという豊かなコンテンツにつ いてもう一度考えたい。

Print Friendly, PDF & Email