国際陶磁器フェスティバル美濃08「土から生える」展-石井農園

国際陶磁器フェスティパル美濃’08アートイン美濃「『土から生える』場の力に挑んだ10人」で、プロジェクト「石井農園」を制作、展示した。本作品は、岐阜県多治見市市之倉の、廃業して廃墟と化した窯場跡を整備して、雑草を刈り、野菜や花の種を蒔き栽培する時間の経緯のなかで観察されたものや、思考の記録を写真と文章でまとめ展示した。会期中は学生とカフェを運営して交流の場とし、場の再生におけるアートと植物と人の力を提示した。

2008年9月14日〜9月28日
国際陶磁器フェスティパル美濃’08アートイン美濃「土から生える」展
国際陶磁器フェスティパル美濃’08の普及企画事業
市之倉窯場跡、岐阜県多治見市
参加作家:伊藤慶二・鯉江良二・坂田和實・遠藤利克・藤本由起夫・設楽知昭・石井晴雄・森北伸・内田鋼一、田中泯

展示場所
岐阜県土岐市(下石陶磁器工業協同組合)
旧釉薬工場
小山冨士夫邸
花の木窯
瑞浪市(大川採土場)
多治見市(市之倉窯場跡)


5月5日:市之倉下見
初めて市之倉の現場の下見に来た。南側一面に灌木と雑草が生い茂り北側は乾燥してカチカチの土地。何か植物を育てようと考えていたが、何が育つか、ここで一体何ができるのか途方にくれる。

アートイン美濃「土から生える」展の打ち合わせで多治見へ行った。今日はボランティアの学生と市之倉会場で開かれるカフェの下見と打ち合わせ。その後東濃保健所で喫茶店営業許可など衛生面の事で話しを聞きに行った。

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5月:伐採、草刈り
気を取り直して伐採と草刈りにとりかかる。まず灌木の幹をノコギリで切り、刈り払い鎌で枝や雑草をなぎ倒してゆく。数日かけてやっと全部刈り終えた。

種まき、苗の定植5月
荒れ地でも育つ野菜としてイタリア系のサンマルツァーノトマトの苗を定植し、雑穀のタカキビとソバの種をまく。

7月29日:ひからびた土地に咲く花
多治見は暑い。この夏の猛暑で、コスモスやソバの生育はあまりよくない。カチカチに干上がった土から小さなコスモスの花が咲いた。あんなに小さなコスモスは見たことがない。背丈は20センチそこそこ。それでもたった一つ、小さな花をつけている、その生命力に感心してしまう。

7月某日:天気まかせ
猛暑続きで多治見は最高気温は摂氏39度。とうとう日本一暑いところになってしまった。種は蒔いてしまったし、草も刈った。あとやることと言えば雨乞いでもするしかない。

7月29日:雨あがり
久しぶりに現場に行くとひからびかけたコスモスの花が久々の雨でかろうじて潤いを取り戻していた。

7月29日:トマト、初収穫
トマトの収穫ができた。荒れ地に育った小さなトマト。すかさず食べた。

7月29日:猛暑でソバの生育不良
このところの猛暑でソバの生育がよくない。荒れ地でも育つことで定評のあるソバが育たないということは相当過酷な環境ということだ。他の参加作家のプロジェクトは着々と進み始めている。でも自分はただ草刈りをして、あとはお天気だのみ。

8月14日:立秋とコスモス
コスモスの花が咲いた。コスモスは秋桜とも言って、秋の花だ。立秋をすぎて、強烈だった日差しも少し和らぎ、そんな秋の日差しを受けながら風に揺れるコスモスの花をながめていると、なんだか陶然とした心持ちになってくる。

多治見の土から生える展のカフェの準備が学生を中心に始まっている。畑の方 は、タカキビやソバが元気に花や実をつけているし、トマトはこのところの雨でだい ぶ実が弾けてしまった。今日はたくあん用の大根、天王寺カブ、小松菜、日本ホウレン草の種をまいた。あと全体にレンゲの種をまいた。花や実がなるのは展覧 会が終わってからだろう。しばらく来ないあいだに草花の様相もだいぶ変わった。真夏の過酷な暑さも和らぎ、このところの雨で草花にも潤いが出てきて。雑草 も相変わらず元気だけれど、みな可愛らしい花をつけて、もはや雑草とは言えない気がしてくる。
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トマト豊作
毎回来るごとにトマトを収穫する。ちょっと掘るだけで陶器の破片がざくざく出てくるとんでもない荒れ地だけれど、それでもトマトはがんばって育っている。長い間雑草が生い茂っていた土地はそれだけで十分に栄養があって、野菜が育つにはよい環境が整っている。下手に人間が肥料をやったりするとかえって病気が出たりするらしい。極力人間はなにもしないことだ。

カフェをつくる
学生達が市之倉でカフェをやるので、いっしょに片付けをした。どのくらい放置されていたのだろう、以前陶器の工場として使われていたこの場所には、まるで一夜にして夜逃げにでもあったかのように、ありとあらゆるものが放置されたままになっている。それらを少しづつ片付けるうちに、空間が次第に風通しのよい、気持ちのよい場所になってゆく。

8月19日:小さなトマト
最近の暑さと小雨で、トマトはほとんどひからびて小さな実がなっているだけだ。そんな状況をみるにつけ、自然農や農業の難しさを痛感する。しかしその実を食べたとき、そのあまりの濃厚な味に驚いた。甘さ、酸味、芳香のどれもが強烈で、過酷な環境の中で生き抜いてきた生命力が凝縮されているようだ。

9月 5日:このままでいい
市之倉カフェの準備が学生を中心に始まっている。畑の方はタカキビやソバが元気に花や実をつけているが、トマトはこのところの雨でだいぶ実が弾けてしまった。今日はたくあん用の大根、天王寺カブ、小松菜、日本ホウレン草の種をまいた。あと全体にレンゲの種をまいた。しばらく来ないあいだに真夏の過酷な暑さも和らぎ、このところの雨で草花にも潤いが出てきた。雑草も相変わらず元気だけれど、みな可愛らしい花をつけて、もはや雑草とは言えない気がする。雑草なんて人間がつけた総称にすぎずみなカタバミ、ツユクサなどかわいい名前がついていて、よくみるととてもかわいい。殺風景だった市之倉の土地に赤や青、白、黄色の小さな花がちりばめられていて、もう草を刈る気がしない。

エントロピー増大の法則
畑や森で作業をしていると、放っておくと木は生い茂り雑草がどんどんはびこってすべのものはカオスの状態になってゆく。でも放っておくとどうしようもなくなるのでひたすら草取りなどをするのだけれど、まったく際限のない作業のようにも思えてくる。エントロピー増大の法則によればこの宇宙ではあらゆるものは拡散してやがてはエネルギーの平衡状態になって、安定して拡散運動がとまる。例えば冷たい水とお湯を混ぜるとやがては混ざりあってちょうど中くらいの温度になって止まるし、水をはった水槽の中にボトルからインクをこぼすとどんどん拡散していって、やがては拡散しきってカオスの状態、飽和状態になって拡散運動は終わる。この動きは不可逆的なもので、拡散してしまったインクを集めて元のボトルに戻すことはできない。部屋もかたづけないとどんどん乱雑になってゆくし、野原も放っておくとどんどん雑草が生い茂る。なにごともいつかは朽ち果ててゆく。われわれが生きているこの宇宙では何かが生まれそして放置された瞬間からエントロピーの増大が始まり、拡散とカオスが始まり、そして有用性を失い、やがて死という平衡状態へと向かってゆく。

エントロピーの法則に反する生命
世界中の創世神話が語るように、原初の宇宙にはまずカオス、混沌、安定、陰、拡散、あるいは「闇」とも呼ばれる状態が存在していた。そこに収縮、固形化、組織化、陽あるいは「光」と呼ばれるものがもたらされ、そしてそれらの陰と陽の力が拮抗してやがて渦巻き、回転する「動き」がおこる。そしてその運動の最終段階において「生命」、そして「人間」が生まれたという。この宇宙において唯一エントロピー増大の法則に逆行するもの、それが「生命」なのだという。生命はどんどんカオスになってゆくあらゆるものに対して、組織化と秩序をもたらしていく存在だ。
我々人間は肉体として生まれた瞬間からひたすらエントロピーが増大し、やがてエネルギーの平衡状態としての死を迎えることになるが、だからといってそれまで何もしないでぼんやり死を待つということはできない。この社会も放置しておいたらエントロピー増大の法則にしたがってどんどん混沌とした混乱状態になっていくだろう。でも人間は身のまわりのことやこの社会の秩序を維持しようとしてがんばっている。多治見の市之倉のあの場所は永い間放置された、まさにエントロピーの増大しきった場所だ。しかしその場所に鎌をふるって雑草を刈り掃除をすることは、ある意味でそのエントロピーの増大しきった空間に組織化のエネルギーもたらすことだ。あの場所で学生達がカフェをやることになった。それはさらにその場の組織化を加速させ、負のエントロピーをもたらすことだろう。また打ち捨てられた陶器類をきれいにして販売しようとしている。まさにカオスからコスモスへと転換することが、人間の役割、意思の力、集約のエネルギー=光をもたらすことなのだ。

なにも作らないこと
物質的なモノをつくるということは一面では組織化と負のエントロピーそのものだが、一方そのプロセスにおいて多大なエネルギー資源を消費するので、有用性の減少とエントロピーの増大をまねくことに他ならない。そしてそのものが「完成」してそのものをつくる行為をやめた途端、エントロピーの増大と崩壊、混沌の闇への序章がはじまる。
だとすれば多大なエネルギーを費やして巨大な「ゴミ予備軍」を作るよりは、むしろなにもしないで、草を刈ってゴミを片付け、花や野菜を植えて、「ちょっと気持ちのよい場所」が作れればよいと思う。そしてその場所でゆっくりお茶でも飲もう。我々は「モノを造る」ということにあまりにも盲目的になってはいないか?それは近代という化石燃料の消費を前提とした「進歩」を是とする思想がつくりだした幻想ではないだろうか?

植物こそ本当の創造者
植物は空気中の二酸化炭素を光合成によって炭化物として体内に取り込み固着することができ、太陽エネルギーを物質に変換する変換装置であり、いわば植物は形を変えた太陽エネルギーである。そして我々動物は、この太陽系における最大のエネルギーソースである太陽エネルギーを、植物によって物質的に変換された炭化物として摂取して生命を維持している。従って動物は植物界が提供してくれた環境なしには生きてゆくことはできず、植物という「地上の胎盤」あるいは「地上の乳房」からの栄養補給によって地球や太陽と間接的につながって生きているのである。映画「ミラ・レパ」のなかで、川の魚を捕りその場で焼いて食べたあと、その魚の骨から生きた魚を再生させて川に戻している人物が出てくる。驚いて見ている主人公に対してその人は「自分で創造できないものをなぜ殺すことができるのかね?」と説く。この地球上で自分自身の摂取する栄養を自分たちでつくって自分たちが生き、子孫を残し、しかも他の生物が生きる環境を創造することができるのは、自己施肥機能をもっている植物だけだ。したがって彼らこそ真の創造者であり、われわれ動物は彼らが用意してくれた環境に依存して生きているにすぎないのだ。市之倉この場所において制作者はただ草を刈り、種を蒔くだけで、あらゆる恣意的な造形は排除した。あとはただ蒔いた種が環境に順応しながら自己のプログラムにそって自動的に成長するのを待つのみだ。もとより創造など人間がおこなえるよしもない。むしろ恣意的な造形を排し、もっぱら観察者として真の創造者である植物の営みを観察し、その恩恵を享受することする事こそ我々に与えられた最良の姿勢ではないだろうか。

天空の城ラピュタ
動植物の生活は太陽や大地の無尽蔵なエネルギーよ生産力に依存しているから安定しており、しかもエネルギーや自然資源を消費しないので大地の生産力は恒常的に維持される。しかしわれわれ人類は近代以降、経済と石油エネルギーというとても不安定な持続性のないものに依存して生きることになった。アニメ「天空の城ラピュタ」の中でシータが「人は土を離れては生きていないのよ」と言うところがあるが、現代社会はまさに「天空の城ラピュタ」だ。強大な軍事力や経済力という「飛行石」で地上から人為的に浮遊し、時には地上を攻撃したりする。ムスカ大佐がシータに「君はラピュタを宝の島か何かとでも思っているのかね?」と聞くところがあるけれど、我々はこの現代社会をいまだに宝の島だと思っているのだろうか。

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